March 04, 2009

堪忍と我慢

最近、宗教評論家ひろさちや氏の文章に癒されましたので、御紹介します。
ひろさちや氏は、以前お母さんに「あんたは、生きているだけで迷惑なんだ。」と、おっしゃったそうです。
これだけでは、なんてひどいことを言うのだろう・・・と、思いますが、ひろ氏の真意はこうです。
「人が道を歩いていると、前から歩いてくる人や後ろから歩いてくる人は通行しにくいでしょう。
その人達の邪魔をしているんです。
電車に乗ってシートに腰かけていれば他の人が座れないのです。
自動車に乗っている人は渋滞に巻き込まれたように思っていますが自分の車も渋滞を作っているのです。
私達はみんな、周囲に迷惑をかけずには生きられない存在です。
だからおふくろに「生きてるだけで迷惑なんだ。」と、言ったのは、その事を伝えたかったからだ。」と、おっしゃっています。
又、こうも書いておられます。
「日本では「他人に迷惑をかけてはいけません。」と、教えているが、インドでは「あなたは人に迷惑をかけて生きているのですよ。それを許していただいているのです。だから、自分が人様から迷惑を受けることがあっても、それをしっかり堪え忍びなさい。」と、教えています。
これが本当の宗教心だと思います。」「仏教の「堪忍」は堪え忍ぶという意味です。
自分がかけた迷惑を周りの大勢の人に堪え忍んでいいただいている。
だから、私も人様からの迷惑を堪え忍ばなければならない。というのが堪忍の精神です。」
「「我慢」は仏教ではもともと悪い意味で使われています。自分という人間はもともと大した人間でもないのに、「おれは」と、他人に比べて自分は立派な人間だと思うのが「我慢」のおおよその意味です。」
私の周りで、最近、「心が狭いな。」と、感じる事柄が続きます。
自分という人間は大したものなんだ。
立派な人間だから他人の批判は受けない。
「おれの」行動や思考に間違いはない。と、思っている人達がいると気づきました。
私の気持ちもどうしようもなく沈んでいました。
そんな時に前述のひろさちや氏の文章に出会い、「私が「我慢」するのじゃなく、「堪忍」の精神で堪え忍べばいいのだ。」と、思いました。
これも宗教心でしょうか。
でも、「慢心」して「自分は間違いない。
自分は善人だ」と、思っている人は自分が不完全な人間だとさとったらどんな顔をするのかな?

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February 08, 2008

雪の三千院

一月の中旬に京都大原の三千院に行ってきました。
寒くなり始めた頃で、前夜に降った雪が残っていて門前の参道やお寺の屋根も庭も一面雪化粧です。
同行した妻がこの冬初めての雪景色に感激していました。
寒さのせいで三千院を訪れる人も少なく、有名な観光寺院なのにゆっくりと拝観出来て得した気分になりました。
宸殿(本堂)の阿弥陀様にお参りしてから、一番見たかった「虹の間」の虹の襖絵を鑑賞しました。
明治時代の巨匠、下村観山の作で襖の下から天井までの間を二重の虹が描かれています。襖と壁の限られた空間に壮大なスケールの虹を描き切る下村観山の技量はすごい!と思います。
虹の一部が描かれているだけですが、見ていると虹の大きさが想像出来て、「今の自分にも明るい明日があるにちがいない!」と、希望がわいて来ます。
宸殿の前の有名な広いお庭は、苔に雪が積もって真っ白です。
高く並んだ杉木立から、風にあおられた雪が絶え間なく落ちてきます。
その中を往生極楽院へ向かいます。
途中出会ったお坊さんが「今日の阿弥陀様は光り輝いていらっしゃいますよ。」と、教えてくれました。
その言葉通り国宝の阿弥陀様も脇侍の観音菩薩様・勢至菩薩様もほんのりと雪明りを受けていました。
明るさでやさしいお顔をはっきり見る事が出来ました。
往生極楽院の担当をしているお坊さんから、阿弥陀様の坐り方と両菩薩様の『大和坐り』の違いを説明してもらって妙に感心しました。
弁天池の淵を通って金色不動堂へ登って行くと、おばさんが熱いお茶の接待をしてくれました。
冷えた身体に温かい「紫蘇茶」が染み込む感覚は、生きかえる心地です。感謝の気持ちで「紫蘇茶」を一袋買いましたが、後で高い方のお茶を買わされた事に気付きました。
京都のおばさんは商売が上手です。
青い空と真っ白なお庭と高い木々。
すれちがう人も無く、鳥の声すら無い静寂な世界。毎日、「今日は○○をしなければ。」と忙しく暮らしている自分にとって、本当に久しぶりの心のセンタクになりました。

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