堪忍と我慢
最近、宗教評論家ひろさちや氏の文章に癒されましたので、御紹介します。
ひろさちや氏は、以前お母さんに「あんたは、生きているだけで迷惑なんだ。」と、おっしゃったそうです。
これだけでは、なんてひどいことを言うのだろう・・・と、思いますが、ひろ氏の真意はこうです。
「人が道を歩いていると、前から歩いてくる人や後ろから歩いてくる人は通行しにくいでしょう。
その人達の邪魔をしているんです。
電車に乗ってシートに腰かけていれば他の人が座れないのです。
自動車に乗っている人は渋滞に巻き込まれたように思っていますが自分の車も渋滞を作っているのです。
私達はみんな、周囲に迷惑をかけずには生きられない存在です。
だからおふくろに「生きてるだけで迷惑なんだ。」と、言ったのは、その事を伝えたかったからだ。」と、おっしゃっています。
又、こうも書いておられます。
「日本では「他人に迷惑をかけてはいけません。」と、教えているが、インドでは「あなたは人に迷惑をかけて生きているのですよ。それを許していただいているのです。だから、自分が人様から迷惑を受けることがあっても、それをしっかり堪え忍びなさい。」と、教えています。
これが本当の宗教心だと思います。」「仏教の「堪忍」は堪え忍ぶという意味です。
自分がかけた迷惑を周りの大勢の人に堪え忍んでいいただいている。
だから、私も人様からの迷惑を堪え忍ばなければならない。というのが堪忍の精神です。」
「「我慢」は仏教ではもともと悪い意味で使われています。自分という人間はもともと大した人間でもないのに、「おれは」と、他人に比べて自分は立派な人間だと思うのが「我慢」のおおよその意味です。」
私の周りで、最近、「心が狭いな。」と、感じる事柄が続きます。
自分という人間は大したものなんだ。
立派な人間だから他人の批判は受けない。
「おれの」行動や思考に間違いはない。と、思っている人達がいると気づきました。
私の気持ちもどうしようもなく沈んでいました。
そんな時に前述のひろさちや氏の文章に出会い、「私が「我慢」するのじゃなく、「堪忍」の精神で堪え忍べばいいのだ。」と、思いました。
これも宗教心でしょうか。
でも、「慢心」して「自分は間違いない。
自分は善人だ」と、思っている人は自分が不完全な人間だとさとったらどんな顔をするのかな?


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