進歩、立ち止まり、落ち着き
人間は生れた時から、歩くことを教えられ、それから満足、安心、安全、便利、快適を求めて歩き続けますが、又忙しさのあまり、家族とのすれ違い、会話の減少、親子の絆の希薄等等、ここで一度立ち止まってみては如何ですか。
そして自分を見つめなおして、自己を見失うことなく、ゆっくりとして、僅かな時間、仏壇の前で静座して心落ち着けることにより、私たち本来持っている清浄な心が蘇るのではないでしょうか。
人間は生れた時から、歩くことを教えられ、それから満足、安心、安全、便利、快適を求めて歩き続けますが、又忙しさのあまり、家族とのすれ違い、会話の減少、親子の絆の希薄等等、ここで一度立ち止まってみては如何ですか。
そして自分を見つめなおして、自己を見失うことなく、ゆっくりとして、僅かな時間、仏壇の前で静座して心落ち着けることにより、私たち本来持っている清浄な心が蘇るのではないでしょうか。
2006年12月に心筋梗塞で救急入院して、30分遅れていたら死んでいたでしょう、といわれ、年内は薬で寝たきりで、肺炎になったり、肺まで水が一杯に溜り、その水を抜かなければならないし、治療に専念し元気になるまで手術はできずとのこと年末近くに肺炎も治りN病院で手術という段階になり、想像したより病気が重かったためか、N病院では手術ができずM病院に救急で運ばれ検査、しかし健康状態が良くないとのこと、年が明け一月四日に手術と決定されました。
正月は不安で一杯で娘とすごしましたが、私たちには何の知識も、力もないので、医者の判断を信じるのみです。手術の前々日に担当医から説明がありました。
心臓に3本の動脈がつながっておりますが、その脈が98%以上詰まっています。
血液が流れません、この血を通うようにする手術を致します。
2本は本人の足の脈を取って、心臓へとバイパスに使用いたします。
残りの1本は背中に有る、遊んでいる脈を使用いたします。
当日を迎え、病院で一日待機いたしました。
無事に手術が終わりましたが家内は麻酔で意識がありません。
それから毎日ICUへ10日あまり通いました。
はじめは幻覚症状が出て、あるようでないような話をするので、このまま頭がおかしくなるのではと思い、心配致しました。
担当医に言わせるとこんなの軽いほうですと聞かされ、ホット致しました。
時間の経過により徐々に意識が今までのようになりました。
一般部屋に移動いたしましたが、二十日あまりベットに寝たきりのため、筋肉が衰え立つこともできない状態になりました。
そこからリハビリが始まります。
歩行機を使って歩くことをはじめます、二日ほどで歩くことはでき始めますが、しゃがむことはできず補助がいります。
食欲が出てきますが、一人でトイレには行けません。
そうしている内に、家内の母が家内の退院日前日に亡くなりました。
娘にこのことを母に伝えることを任せました。
家内いわくには、私は退院しても自分の母の面倒は見ることはできない、自分を維持していくだけで、・・・、母は子孝行をして先にこの世をさってくれたんだ といった。
家内は葬儀の日に母親と別れの対面を致しました。
なんと不幸な親子なのかと、私は涙がとまりませんでした。
母は相方がなくなってから拾何年一人で生活をしておりました、痛さをこらえて、自分の家で死にたいと、いい続けておりましたが、その願望を達成して、あの世に行きました。
芯の強い母でした。
家内はその後東京、大野、鳥取、天橋立と行きそしてプール通いをして足の筋肉を鍛えておりました。
母のお骨を浄土宗本山智恩院へ納め、またコンサートにも行き、墓参りも行き元気に暮らしておりました。
夏は異常なほど暑がり、冷房機を新しく致しました。
冬は反対に暖房がいらないかと思いましたが、寒がりました。
自分の力で体温調整がうまくいかなかった様子でした。
毎月の検診で1本の脈の血が逆流しているといわれましたが、生活には支障きたさない様子で、数ヶ月変わりなく生活いたしておりました。
12月に入り東南興産㈱の保養所に予約させていただき、当日には娘の運転で車窓を楽しみながら現地に向かいました。
保養所は綺麗でまるでトレンデイなドラマに出てくるような、ハウスで感激いたしておりました。
次は孫を連れてきて、一泊して帰りには、天橋立で遊ばして、と考えていたようで、出発二日前に急に具合が悪くなり22日の朝4時ごろに病院へ連れて行きましたが、息が満足にできないから苦しくて、ベットの上でわめいておりましたが私の力らではどうすることもできず、病院任せでした。
当直の医師は今苦しがっていることを、和らげることしかできず、担当医が出勤するまで待つ状態でしたが、家内はもう待つことができないぐらい苦しくて、わめいておりましたが、それから4時間たって担当医が出てきたので、周りの医師、看護士がばたばたと動き出して、必要な機械をベッドの脇に置き処置を始めましたが、6人部屋に臨時に入ったので、狭くて充分な処置ができないため、お気の毒に、何人かの病室に入院しているお方が部屋変更され、家内が一室もらい完全に個室にしてもらいましが、私的にはそのときすでに遅かった気がいたしました。
それからいろいろな処置をされたが、回復する体力がなくこの世を去りました。
救急車を呼んでいったとしても、N病院はベットが開いておらず、他の病院へ回されており、結果的には同じことであったと思います。
人間の生命はいとも簡単に絶えるものであることがはっきり自覚いたしました。
故郷が懐かしくなる年齢かな
私は福井県大野市というところに生まれ18歳までここで育ちました。
大野幼稚園(最勝寺様経営)4年間通いました。
四年目のころは悪いことも沢山して、立たされました。
有終西小学校、有終中学校、大野高等学校(甲子園に野球で出場し、二回戦まで進みました。
このころは雨が多く、雪が沢山降る、こんなところに将来は住まない、と決心いたしましたが、今は六十も過ぎ、田舎の自然が懐かしく思うようになり、今思えば日本の四季を教えてくれた良い所であったと思います。
しかし最近では雪も降らず、天然の水も決められたところしか湧き出てこなくなりました。
昔は町から1Kも離れたところでは1Mも掘れば水がわきでてきました。
小京都といわれたときも有りましたが旧町の道が延長されたり。バイパスもできたりして、碁盤の目がなくなり、小京都のイメージもなくなりました。
そして環境は壊されています。最近田舎に帰りましたが、そのよさを残しているのは勝山市平泉町平泉寺のところに白山神社という立派な神社があります。
この神社は平泉家(平泉渉様は一族です)が管理している社です。
ここの苔は京都の苔寺よりは大きな面積に若葉色の絨緞を敷き詰めたようです。
一度観光してみては如何ですか。
ナオ君が亡くなってしばらく寂しくおもいましたが、家族でコンサート、旅行に気軽に出かけられるのが、今楽しみに致しております。夕方の散歩、食事の用意と心配しなくてよいので、ゆっくりと遅くまで、出かけられるのが、うれしいです。しかしよその犬を見ると、触りたくなります。
ナオ君がなくなってから、妻が大病をし、義母が一月末日、ノロ君が3月15日にナオ君を追ってなくなりました。それから、母が4月22日になくなり、義兄が5月11日になくなりました。近所の若い奥様が3月後半になくなり、ナオ君が道案内をしたのかと、、、、。
石でナオ君似た犬が売っておりましたので、買い求めて、入り口に近い庭に置き、帰宅したら、頭をなでて、一言会話して、玄関にと入ります。
私たちも年々年を老い、今から生き物を飼ったら、最後まで面倒を見ることができないから、可哀想だから、近所の犬を見て、楽しんでいこうと おもうことに致しました。
去年の12月15日におりこうな犬ナオ君がなくなりました。今でも横になって臥している場面が目に焼きついて、ふと時間が止められて、思い出さされます。十八年間本当にご苦労様。最後の一年は足・目が悪くなり、散歩も自由にできず吊るし上げて歩きました。飼い主の方が背筋を痛め根をあげる始末です。三ヶ月前になりますと、誰か傍に居ないと夜中になるとワンとなかず、哀れな泣き声をだすので、交代で傍にいてました。当然に日中もそうです。亡くなる二日前には一日中痙攣をし、翌日には口から、お尻から血がでておりました。そのときに、お臨終でした。優しい顔で、いまになっては、ころころしたなお君が目の前に走っていく姿ばかりがうかびます。他の犬をみると、なお君を思い出し、家族の会話の中に、出てきます。なお君さようなら
現在の状況は前右足の調子が悪くなりつつあります。後ろ右足は支える力はなくすわることもできず、直進はできず、前に進行は侭ならず、右回転ばかりで、疲れたら倒れて、寝ます。疲れるまでに、一時間かかり、その間で、何回も倒れますので、起こしてやります。
起こしてやらなければ、大きな声で、鳴きます。睡眠は2時間ほどです。その時間のうちに用事を済ませます。昼も夜も傍にいてやらなければならない。夜中も2時、4時頃に散歩に連れて行きます。
私は二時に目を覚ませば、二時に、おおかた四時に散歩に行きます。
もう一匹の老犬がいますが、散歩は一緒に連れて行きますが、大きな声でなかない、足は丈夫、手がかからないので、面倒の看方に差が出る。直君は毎日毎日右回転であるきます、どこへ向かって歩いているのだろう、食事は大食で、残さず食べます。病気になったことはありません。いつまでも、元気で歩いてください。
今年になって、ボケ薬も倍に投与しておりますが、睡眠をとる時間がまちまちになり、また、六月になって狂犬病の注射を受けに行きました。例年でしたら、そのとき、フイラリヤの検査と薬をもらいますが、19年に入りましたので、その薬を飲ますのは止めました。そのとき先生は今年の夏を越えられたらいいほうですね、といわれました。日ごとに人が誰か傍にいないと大きな声で鳴きますので、近所迷惑になりますので、昼は少々ほっておきますが、夜中は家の中に入れて、相手しております。このときは腹も立ちますが、顔を見るとかわいい表情をするので、癒されます。近所の名物になり、庭を覗いていきます。水曜日は休日なので、私の当番です。火曜日の夜二時間ほど仮眠を取りましたので、24時過ぎてから相手をしておりました、しばらくするとスースー居眠り始めました。私も一緒に仮眠をとり、4時ごろになると犬も目をさまして、動き始めました、散歩に近所をあるき始めたら、途中でカブトムシの雄と出会い、捕まえて帰りました。家の近くに着たら、鶯が鳴いている。何か気持ちのいい朝だなと、感激いたしております。これも犬のおかげかな!
今では獣医さんの特別調合した薬をいただいて、睡眠を一定にとれるように、精神的にも落ち着つく、薬をいただいております。食欲もいっぱいありますので、後四五年はげんきでしょう?
OD会員様の催事を平成18年2月25日に、定員は50名とさせて頂きましたが、当日13名の欠席で38名のご参加いただき「バイオリンとマリンバによるアフタヌーンコンサート」を開催いたしました。
踊り明かそう、春の海、カルメンより、ムーンリバー、愛の賛歌、はじめから今まで、アメリカンパトロール、2台のマリンバのための喜遊曲、チャルダッシュ、冬のメドレー、火華、涙そうそう、テイク・ファイブ、アンダーソンの世界、休憩(コーヒー等を飲食)を入れて約2時間、拝聴して頂きました。終演後、マリンバをたたいて楽しんで、おしゃべりをして帰られたお方もおられました。
初めてのことで、行き届かないことが多々あったと思いますが、次回から一工夫を付け加えて、より良いものにしたい所存でございます。
OD会員を募集しております、ご来店の上もうしつけください。
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前回は垂仁天皇稜の傍にある菓祖神の塚まで、それから、歴史の道を歩き唐招提寺にもどり、入場料を払い山門をくぐり、そこは天平の品のある雄大な風格を感じさせる金堂の屋根が直ぐに目に映る。その金堂の足を一歩入れると、千手観音が目に付く。長くジーとみていたら、手には色々なものを持っておられる、これはどんなものなのか、調べたくなり、ちょっと勉強してみました。
右 手
月輪(がちりん)熱病にかかったとき、冷気を得る。
化仏(けぶつ)十方の仏たちが来て、将来の成仏を確約する。
宝鏡(ほうきょう)広大な知恵を得る。
宝珠(ほうじゅ)衣食住に恵まれる。
三鈷杵(さんこしょう)一切の天魔、外道を抑制する。
青蓮華(しょうれんげ)十方の浄土に生まれ変わる。
宝篋(ぼんきょう)地中の宝を得る。
宝経(きょうきょう)仏の教えを得る。
蒲桃(ぶどう)木の実、草の実、穀物を得る。
独鈷杵(とっこしょう)怨敵をくじき、鎮める。
鉞斧(えっぷ)役人の難を避ける。
宝印(ほういん)弁舌にすぐれる。
楊柳(ようりゅう)体のもろもろの病気を治す。
宝箭(ほうせん)矢のこと。よき友人を得る。
白蓮華(ぎゃくれんげ)さまざまな功徳を成就させる。
施無畏(せむい)あらゆる場所で、恐れを払う。
胡瓶(こびょう)千手観音の水瓶。人間関係の和睦。
数珠(じゅず)十方の仏たちが来て、手を差延べる。
錫杖(しゃくじょう)全ての人々を慈愛し、守護する。
左 手
日輪(にちれん)日精摩尼。盲目な人が光を得る。
化仏(けぶつ)十方の仏たちが来て、将来の成仏を確約する。
宝螺(ほうら)天神、善神を呼び寄せる。
宮殿(宮殿)胎生の中に身を受けない。
宝輪(ほうりん)仏の身になるまで悟りを求める心を得ること。
五色雲(ごしきうん)不老長寿。
紅蓮華(ぐれんげ)諸天の宮殿に往生する。
宝鐸(ほうたく)音声を得る。
宝釧(ほうせん)よき従者を得る。
宝戟(ほうげき)外国の敵を避け、追い払う。
宝剣(ほうけん)一切の悪鬼を鎮める。
髑髏(どくろ)一切の鬼神を意のままに操る。
払子(ほっす)さわりを除く。
紫蓮華(しれんげ)十方の一切の仏達を目前に見るを得る。
宝弓(ほうきゅう)出世する。
藻瓶(そうびょう)水がめ。梵天の世界に生まれ変わること。
傍牌(ぼうはい)悪い獣を追い払う。
羂索(けんさく)さまざまな不安から救われる。
宝鉤(ほうこう)善神、竜王の守護を得る。
両 手
宝鉢(ほうはつ)お腹の病の難からすくわれる。
合掌(がっしょう)人々が常に来て、お互い敬い、相手を思いやる。
千手観音が安置されている寺院の一覧
唐招提寺(奈良) 乙津寺(岐阜)
蓮華王院(京都) 壽宝寺(京都) 弊社カレンダーに使用
葛井寺(大阪) 四天王寺(大阪)
興福寺(奈良) 延暦寺(京都)
広隆寺(京都) 円城寺(大津)
道成寺(和歌山) 峰定寺(京都)
広隆寺(京都) 月輪寺(京都)
法性寺(京都) 千手院(滋賀)
大安寺(奈良) 羽賀寺(福井)
法隆寺(奈良) 補陀洛山寺(和歌山)
東大寺(奈良) 妙薬寺(福井) 弊社カレンダーに使用
新薬師寺(奈良) 他
慈恩寺(岐阜) 以上疲れてまた次回
大報恩寺(京都)
東寺(京都)
何十年と旅はしています。自分自身(一人)、両親、兄弟、子供、友人、学校、会社等さまざまなスタイルの・・・これは単なる、観光、それも有名なところ、所詮個人の自慢、見栄のため、のような気がいたします。不足のない年齢なので、ここらでひとあじ、、一味を加えた観光をしてみたい。
まず奈良県(近所)から
オペラグラス、デジカメを持ってふらりと、、、、薬師寺へ東塔を仰いだら、火炎模様が(水煙)みえ、オペラグラスを覗けば、火炎とおもったのが、十二人の天人でした。
薬師寺から唐招提寺への道は、時代劇に出てくる籠を担いで走る、馬に乗って走る光景を思わせる。実際の道(舗装道)は消して。
唐招提寺は我が家から、犬の散歩コース近すぎて深く観光しておりません。東山先生の襖絵が印象的でした。ここは次回でも。
そこを出てしばらく歩きますと、土塀が50メートルぐらいつづきます。修理は長い間されておりませんが、これがまた味わいのあるものです。そこから垂仁天皇陵の方へ足を向けると、御陵は菅原(此の近くに町名あり)の御立野の中にあり(古事記より)。此の陵の周りには堀がある。此の堀の中に、小さな小島がある。此の島は多遅摩毛理の墓です。(果物や菓子の神様)その小さな島にむかって小さな鳥居があります。鳥居の奥に「菓祖神 田道間守命御塚拝所」と彫られた石碑があります。此の続きは意識して散歩いたします。
私どもは共働きで長い間彼に留守番をしてもらい、苦労をかけました。
最近後ろ足を引きずります、その後ろ足に力が入れられません。
小さいときから、小、大便は庭ではすることなく、散歩のときにしか、排泄はいたしません。それが今日になって大変なことになりました。日常の散歩のときに、排泄がないときは、夜中とか、日中いつでも、もよおすときに大きな声で鳴きます。近所迷惑になりますので、そのつど真夜中でも起きて散歩に出ます。また雨の日の散歩は好きでないのに、大雨の時は鳴きますので散歩に連れて行きます。
このときは人間なんか、勝手なもので、早く死んだらいいのに、とか保健所に連れて行こうとか思います。しかし、性格は穏やかで、無茶泣きはしない、利口な犬でしたが、年を取りずんずん自分の思うままに行かない行動が出てきます。これを見て、私たちも年をとり、ボケそして排便も思うままにいかなくなり、足も思うままに動かなくなり、私どもの人生を見ているかのようで、これからは大切にして、死ぬときは一緒だよ!とか、来年から、家内が仕事を終えますので、留守をしなくて良いから、楽になるよ、、穏やかに余生を送ってもらいたいし、くいのない犬生を歩いてほしいと思います。
犬物語はなお君に大きな変化があり次第、掲載いたします。
今、我が家に19年目になった犬がおります。名前は「なおゆき」と言います。
そもそもこの犬が我が家に来たことから話が始まります。ある会社の若い人たちが、公園でバーベキュをしていたら、そのにおいに引きこまれて寄ってきたところ、あまりにもかわいいころころ、丸々した子犬だったので若者は寮につれて帰り、2.3日面倒見ていたが、その会社はサービス業なので犬を買ってはだめと、言うことで社員の中で誰か面倒見ないかと聞かれたので、私が手をあげて、もらうことになりました。
そのころ私は犬嫌いで、自宅の最寄の駅に降りたら、石を数個もって家まで帰っておりました。なぜかといえば、犬の放し飼い、野犬が怖くて)その様な者が、犬をもらいどうして面倒みようか自動車で犬を運んでいる間悩んでいました。家に着き犬をおろしてもらいました、庭のテラスの柱に紐を取り付けそこに犬をつなぎました。明日から誰が面倒を見るのか、・・・・そこに家内が出てきて自分の手を犬になめさし、犬はその手を口の中に入れました。家内が犬は賢いからこの人が主人だとわかれば、かまないから、お父さん、ためしに口の中に手をいれてみたら、何にも問題はおこらなっかた。名前はそのころチェカ-ズが人気のあるころでした。藤井ふみやの弟のなおゆきの名を取って命名しました。これから毎日朝夕の散歩が始まりました。子犬のころは子供たちも協力してくれましたが、朝は私、夕方は家内が担当と定着してきました。朝は4時、夕方は6時になると散歩連れて行けよとばかりほえ始めます。我が家のなお君の話は次回10/28以降になります次の話を楽しみにしてください!!
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