December 07, 2008

プラチナ世代

平成20年9月11日(木)付、日本経済新聞夕刊にこの言葉を見つけました。
「プラチナ世代」医学博士、整形外科医、小説家の渡辺淳一氏によるこの言葉の意味は、長く人生を生きてきて、その人生体験を基に知恵を秘め、底光りする人達のことである。
老人とか、シルバーなどと呼ばれていた高齢者をプラチナ世代と呼び、シニア世代予備軍の五十歳以上の人々をも含むとのことである。
私もこの年(67歳)になって感じることは、若い人達は年配者に対する考えを改めて欲しいと思う。
若者が思う程老いを感じていないのです。
老人扱いをしないでほしい。
健康であるし、仕事に関しても、少しは体力的、知力的に確かに落ちてきてはいる気はするが、まだまだ若い人達に負けずにやっていける。
なにしろ経験と知識というものがあるからです。
ゴールドであればケバケバしているし、シルバーと言われれば地味だし、プラチナ世代と言われると、重厚で美しく、品があるようで、とても嬉しい気がする。
世間体などこだわらず、おしゃれですてきな不良になれば………。
「不良熟年」ではどうでしょう。
また、プラチナ世代にとって一番大切なのは夫婦間でほめ合うことだそうです。
一人身ならば、思いきりおしゃれして、外に出かけ異性の友人の一人や二人いてもいいのでは………。
きっと楽しいことでしょう。
プラチナ世代「ばんざい!」です。
“夕日を追いかけて走る少年の姿は美しい。
追いかけなくなったらもうおしまい。”とも渡辺淳一氏は言っておられる。
私も若い人達の間で流行しているものを上手に取り入れて、おおいにプラチナ世代を謳歌したと思う。

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April 18, 2008

女性専用車

私は通勤に、市バス・JR東西線・地下鉄を使用する。
最近は「女性専用車」なるものが設けられている。
朝の出勤時にはこの車両には乗らないが、帰宅の際はこの車両を利用している。
それは、市バスとの乗継ぎに、時間的・場所的にとても便利なのです。
丁度列車の停車位置がエスカレーターの昇口の所になり、とても助かるのです。
しかし、好んでこの車両に乗っている訳ではない。
本当はこの「女性専用車」には乗りたくないのです。
というのは、この車両に乗ると気持ちが落込むことが多いのです。
この車両の中での出来事が、同じ女性として恥しく情けない事が多々有るからです。
同性同士の気の緩みからか、恥らい、慎み等々を忘れて終っている。
あまりにも常識のない事を平然とやって退けるのでうんざりする。
人前も憚らず化粧をする。
食物を大きな口を開けてムシャムシャ食べる。
大きな声で、しかも男言葉で口汚くしゃべりまくる。
下着になって洋服の着替えを平気でする人もいる等々。
こんな女性達の有様をもしも男性諸君が目撃したならばなんと思うでしょう。
顰蹙を買う事でしょう。
女性というのは異性の目が無い時、こんなにも自制心を失う人間だったのでしょうか?
勿論、静かに整然と目を瞑ったり、読書等しながら目的の駅まで立っておられたり、座っておられる方々がほとんどです。
どんな家庭の中で育ったのだろうか?両親はどのような躾をして大きくして来られたのだろう、特に母親はどんな人なんだろうと思う。
女性は特に女性に厳しい見方をするものです。
本当は乗りたくない車両ではありますが、便利上、乗っている自分が有り、批判したり軽蔑したりの自分が有って複雑です。
どうか女性諸君、どんな時でも常識を忘れずにいてほしい。
本来女性は素晴らしい人間なんですから、もっともっと自重して行きましょう。
これからもこの車両に乗り続けて、女性達の生き方を見て行こうと思う。

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September 21, 2007

四文字熟語

私は毎朝の通勤に、JRの東西線と地下鉄の四ツ橋線を使用しています。
電車の「中吊り」を楽しんで読んでいます。
素早く昨今、起っている事柄が反映され、書き出されている。
大変興味深い話題が多くある。
又クイズも出ている。
その中に頭の体操になるものがある。
JRでは「おばあさんの知恵袋」と題して、諺や四文字熟語が出題されている。
漢字や言葉の使い方、読み方の誤りを指摘してくれる。
大変参考になります。
最近の事ですが、地下鉄の「中吊り」に四文字熟語の面白いクイズが有り、それに嵌ってしまいました。

次の( )の中に数字を入れなさい。【○○大学教授(国文学者)による出題】
1、( )石二鳥 2、二束( )文 3、三寒( )温 4、四分( )裂
5、七転( )起 6、( )死一生 7、五臓( )腑 8、( )年一日

答えは ・・

1、一石二鳥 2、二束三文 3、三寒四温 4、四分五裂
5、七転八起 6、九死一生 7、五臓六腑 8、十年一日

その問題を解答してから、ふと思いました。
数字の入った四文字熟語で『尻取り』遊びをしてみようと思いました。
①一石二鳥 ②二束三文 ③三寒四温 ④四分五裂 ⑤五臓六腑 ⑥六(?)七(?) ⑦七転八起・七転八倒・七難八苦 ⑧八(?)九(?) ⑨九(?)十(?) ⑩十年一日・十把一絡
(?)のところが、いくら考えても解りません。
六と七、八と九、九と十を使う四文字熟語がみつかりません。
色々な書物や辞典を調べてみましたが解りません。
今までに無い位沢山の本を読みました。
この事が引っ掛って、頭の中がすっきりしません。
○勝○敗、○男○女、○泊○日、など、熟語でない言葉しか出て来ません。
誰か教えて下さい。
幸福な悩みを今抱えています。
今後も又、四文字熟語を勉強して行こうと思っています。

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June 22, 2007

川と魚と鳥とそうして動物たちと

私は伊丹市の西の外れに住んでいます。宝塚市の方が近い所です。桜台ハイツの七階から見渡す景色はとても美しく、借景として満足しています。建物の前に武庫川が流れています。両岸は芝生が一面に植えてあり、緑が一杯です。テニスコートが有り、野球場、サッカー場広場も有ります。平日のみならず、土・日曜日は特に賑やかです。楽しそうに過ごしている人達の姿は、見ていても嬉しくなります。そのはるか先は、六甲連山、甲山が見えます。ベランダから、下を流れる川を眺めていますと色々な種類の鳥が川岸にやって来ます。鴨、川鵜、あお鷺、こい鷺、白鷺、鴎、鳩、雀等々。川の中には、ブラックバス、鯉、鮒等々、名も知らない魚たちが沢山いるようです。釣りを楽しむ老人達の姿もよく見かけます。
去年の夏のこと。吃驚することがありました。ベランダの隅に置いてあるダストボックスの上に、小さな卵が「コロン」と産み捨ててあるのでした。直ぐに鳩の卵だと解りました。毎日の様にベランダへ二羽の鳩が来ていたからです。いったいどうしたのでしょうか。惘れるというよりは、驚きで一杯です。まもなくやって来て抱卵するかも・・・?と思って待っていましたが、飛び廻ってはいるものの、放り離しです。とうとう風に飛ばされて壊れてしまいました。人間世界と似ているようで、無責任で悲しい出来事でした。
毎日、通勤途中のバスの中から、武庫川へ流れ込む支流、天神川を左に見ています。いつも同じ場所に大きな鯉がいるのです。緋鯉、金兜鯉、薄黒鯉、濃黒鯉、みつけては一人喜んでいます。川の中に、それらをみつけた日は、ラッキーな一日のような気がするのです。会社から帰ってくると、ハイツの玄関先に年寄り猫がいて「ニャーニャー」と迎えてくれます。廊下を歩いていると、これまた老犬が寄って来て激しく尻尾を振って迎えてくれます。古い建物です。人も動物達も皆、相当な年令の人達が大勢います。それはそれで、味のある生活です。皆元気で楽しく、仲良く年を重ねて行くことは、大変素晴らしい事だと思います。

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March 16, 2007

もみじの思い出

晩秋少し冷える。快晴、空は澄み渡り気持ちのいい朝であった。
出勤の為、プラットホームに居た。ラッシュアワーを少し過ぎていた。列車を待っている人の数は少なかった。ほどなく列車が入ってきた。私は最後尾のドアから乗り込む。ドア附近で新聞を大きく広げて熱心に読んでいる人がいた。その前を通り過ぎる。瞬時に私が知っている人のような気がした、が奥へと入っていった。でもふと気になり振り返って見た。朝家を出る時『Mちゃん』に会うような予感がした。久しぶりに会う幼友達の『Mちゃん』であった。向こうも気がついたかと見えて「やぁー」と言って手を挙げた。ドア附近へ私は戻る。「元気だった?」「どうしてたの?・・・」と矢継ぎ早に尋ねてみる。「元気にしていたよ」「連絡しようと思いながら、御免」と言っている。必ず『Mちゃん』から連絡をすると言っていたのに・・・。月日が流れていた。中学、高校、大学、就職したその後も暫くは七人組のグループ交際が続いていた。特に『Mちゃん』とはとても仲良しだった。『Mちゃん』がヨーロッパへ赴任したり、私が結婚するなどで、皆とも連絡が跡絶えてしまった。その後、三十五年ぶりに、中学校時代のクラス会があった。『Mちゃん』と会える日が来た。私達位の年令になって来ると、みんな人恋しくなってくるのか、亡くなられた人以外、クラス全員が出席し、恩師も大変お元気でご出席して下さった。それはそれは、豪華で賑やかで、楽しい同窓会となり話も尽きず、夜が更けてゆくのも忘れて語り、食べ、飲んだ。皆な健康で集ることが出来た事に感謝した。幸福せな一日を過ごす事が出来た。クラス会が終ってから『Mちゃん』に車で家まで送ってもらった。車中、まだまだ話が一杯あるから又、近々、会おうと約束した。それから、幾度か連絡を取り合ってよくドライブしたものだった。会うといつも十五才の中学生に帰ってしまった。そんな或る日、高い所から、懐かしい学校や私達が幼い頃過ごした家々や公園などの見える所へ行こうと・・・、六甲山にドライブすることとなった。途中、何度も車を止めては下方を眺めた。色々な思い出が浮かんでは消え、語り尽せる訳がなかった。「そうだ六甲山森林公園を散策してみよう」と言うことになった。語りながら中を歩いているうちに大変寒い事に気がついた。落ち葉がハラハラと身体にふりかかる。ふと目の前の景色を見た。美しく紅葉した樹が目に入った。私達にはまるで光がその樹だけに当っている様な気がした。寒さなど気にならなかった。その美しさは、荘厳で存在感があり圧倒された。こんなにも美しいもみじの樹を嘗て見たことがない。立ち尽す・・・。秋を裾模様の背景として、立つ樹そして樹の根元にはベージュ色の笹の葉がうず高く積もっていた。ザワザワ風が吹く、笹の葉がフワァとゆっくりと舞い上がり、真赤なもみじの葉が優雅に舞いながら落ちる。その様は、歌舞伎の中で踊られる「連獅子」の舞を観ている様であった。豪奢で艶やかで凛しくて・・・。どの位の時間が経ったのだろう。この感動は決して忘れることはない。毎年この時期に来て見ることを約束する。私達の大切な秘密の場所(宝物)とすることにした。何回かは見に来てはいたが、同様な感動を覚え涙が流れた。しかし、ここ数年、見に来ていなかった。もう一度、あの美しい『もみじ』を見たい。思いながら、歳月は流れていた。
列車の中で会ったのが幸いとばかりに「秘密」の場所へ「行こう」などと言っているうちに大阪に着いた。それぞれの勤務先へ向かわなくてはならない。必ず連絡を取り合うことを約束して別れた。でもなかなか実現しなかった。去年の秋は、暖かったので行かなくてよかったのでは・・と、自分に言い聞かせて諦めていた。『今年の秋は絶対に行くぞ』と決めている。友はどうしているのだろう、と思った。私達は昔から『以心伝心』するところがあった。電話してみようか?いや向こうからかかって来るかも?と思いながら家事におわれていた。ふと電話に目をやった。突然、プルプルーンプルプルーンと鳴った。思わず『ビック』とした。

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December 01, 2006

第七回目 愛は死を超えて

事務員、秘書、副社長、代表取締役社長として、夫と共に過ごして来ました会社での二十五年間、色々の事を学ばせてくれました。私を大きくしよう、育てようとしてくれました。或る時は娘のように、妻として、会社人として愛してくれました。社会で通じる人間になるように厳しく優しく、全力を注いで教育してくれました。私もそれに応えようとして努力してきましたし、頑張ったつもりです。今はただ楽しかった日々だけしか思い出せません。やがて、夫は認知症がすすんでゆきました。数々の事情により会社を整理、解散する事となりました。四十五年間の会社の終わりです。
「やれやれ」と思ったのでしょう。可愛らしい子供の様な夫となってゆきました。或る日、夫は私にこんな事を言ったのです。『僕の頭の中はどうなったのだろう、いままで一杯色々な事を勉強して来たし記憶をしていたのに、頭の中が真白の様で何にも思い出せない・・・。』悲しそうな不安な目でした。私の胸は張り裂けそうになりました。「大丈夫、私が覚えているから、これからは何でも私に聞いてください。心配することは何にもありませんよ。」と言って夫を抱きしめました。その時、夫は大変嬉しそうな笑顔を見せてくれました。それ以来、夫は片時も私を離そうとしなくなりました。これからは、私は夫のためだけに生きようと決心しました。夫の命が終わるであろうその時まで、全力で夫を助けて行こう。その事に生き甲斐を見出しました。
それから四年後、学生さん達の研究の為にと・・・。自身の体を大学病院へ献体しまして、静かにこの世から去って行きました。私は確りと夫の介護をする事が出来たのでしょうか。あんなにも私の為に色々と頑張ってくれた人。私を教育するだけでなく夫自身も勉強して、法学博士号を修得して私にプレゼントしてくれた立派な人を・・・。夫は幸福せだったのでしょうか。日々反省しています。
夫の愛があればこそ、今も頑張って働けるのだと思います。縁があって仏様と関係のある仕事に就く事になりました。きっと天国から夫は『頑張れ、力一杯生きて行くんだよ』と応援してくれていると信じています。私は幸福せです。(終)

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August 25, 2006

第六回目 愛は死を越えて

十五年間事務員として、秘書として主人の傍らで働き、病に倒れ回復した夫から〝会社の経営者となり、努力して自分自身を高めて行くように〟と告げられた時、不安と期待とで胸が痛くなり悩みましたが、直ぐに『頑張ってやって行こう』。主人が一緒にいてくれるのだから心配することは何もないと決心しました。
主人は言います。最初から私を経営者にする為に指導し、教育して来たのだから、悩む事も心配する事も無いと言ってくれました。『君なら出来る』と励ましてくれました。
厳しかった十五年間を思い出しました。しかし楽しかった日々でもありました。
従業員たちの前で、副社長就任の挨拶です。今、その時どんな言葉を発したのか忘れてしまいました。主人によれば「それでよい」「十分だ」と満足げでした。毎日朝礼をすることが私の一日の始まりとなりました。
自身を通して経験した事などを、皆に理解してもらえるように、元気で働いてもらえるようにと、言葉を選んで話して行くことのむつかしさを知りました。

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May 06, 2006

第五回目 愛は死を越えて

次々と色々と勉強に挑戦してきましたが、次は何に……と思っている時、夫は心筋梗塞症で倒れました。長期の入院となりました。よく命が助かったものです。二十四時間、夫の傍で看病することとなりました。付添さんなど他人の世話を嫌がり、私でないといけないと言うことで七ヶ月間病院での生活となりました。病人も辛い事ですが、私も肉体的にも精神的にも心労がありました。
長期の病院生活の中にあって沢山の人々との出会いや別れがありました。生と死の瀬戸際の悲しみ、苦しみ、そして喜びなど、沢山見る事となりました。これもまた人生の勉強となりました。
入院中、病の辛さ苦しさから我儘を言い、困らせる事も多々ありましたが、やはり優しい人で常に『有難う』『すみません』などの言葉は忘れず、気遣ってくれました。
長い入院の後、やっと回復しました。
仏様の様な夫となりました。「生きられた」事への感謝の気持ちで一杯だったようです。
リハビリ中の或る日『愈々、君に経営者として活躍してもらいます』と言われて、大変驚きました。「色々と勉強して来たのだし、もういいだろう」と言うのです。十五年間事務員として秘書として、夫について来ましたが、経営者となる事への恐れ、不安、迷い、心配が心の中で交錯しました。「どうしよう」と悩み続ける毎日でした。

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February 27, 2006

第四回目 愛は死を越えて

無事に自動車の免許を取得することが出来ました。自動車を運転出来る様になってから、新たな視野が広まって毎日が楽しく、又事故等を起こさない様にと、慎重さと注意力がすべての事に強まりました。夫は私の運転する横に座り満足そうでした。
次は何に挑戦しようかと…。経理の勉強をしてみてはどうかと夫が言う。「そうだ」頑張ってみようと経理学校へ通う事となりました。学ぶことの喜びを噛み締めました。軈て、日本商工会議所商業簿記検定三級、二級に合格することが出来ました。更に一級へ進む事となりました。合格率五%とのことでした。相当集中して勉強しないと一度ではパスは出来ないと思い覚悟しました。充実した時期だったと思います。努力した成果があり、合格の賞状を手にした時は大変感激しました。何よりも夫の嬉しそうな姿を今も忘れられません。なんでも『集中してやれば出来る』と日頃から言っておりましたから…。二人で祝杯をあげました日の事はいつまでも忘れられません。
さあ今度は何を…と。

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January 07, 2006

第三回目 愛は死を越えて

或る日のこと、夫が私に言いました。「栄養専門学校へ行ってみないか?」と。
なぜかと言うと、健康な心と体を保持していくには食事が大切だと、丁寧な説明をしてくれました。調理と栄養について学べば、元気で過ごす事がいかに人生にとって大事かがよく解るというのです。元々、学校へ行く事が好きな私にとって絶好の機会でした。調理師科一年間、栄養士科二年間、その間に製菓師科の勉強をさせてもらいました。年令差のある人達との学園生活はとても楽しい三年間でした。その期間、夫も楽しそうで、私が機嫌よく登校して行く姿に満足しているようでした。
夫から学ぶことの喜びを与えられました。
一生行けるものなら学校へ行ってみたいと思いました。これを機会に次は自動車の免許を取得してはどうかと言われました。チャンスと思い挑戦することとなりました。四十五歳の誕生日前でした。不安と希望が渾然としました。が、頑張って行くこととなりました。
次回へ続く。

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November 10, 2005

第二回目 愛は死を越えて

夫の遺してくれました『言葉』と共に生きることのしあわせ‥‥。小さなしあわせです。
二人の生活の基本は『信頼』と『尊敬』でした。夫の言葉使いは命令口調など一切ありませんでした。「有難う」「○○して頂けませんか」。
「おいおい」とか「おまえ」とか、名前の呼び捨てなどありません。必ず「さん」と付けます。
常に、優しく美しい言葉使いと笑顔と感謝の気持ちを持って人と接すると、諍いなどは起きない、と言うのが夫の教えでした。実行に移すことは容易ではありませんでしたが、精一杯の努力をしてみますと確かに『言葉使い』に気をつけますと、思慮深くなり人の話もよく聞くことが出来ます。
『言葉』といえば、よく四文字熟語も沢山教えてくれました。何度も読んで文字に書いて、意味を深く理解する習慣をつけるようにと指導してくれましたことを思い出します。今では辞書を引くことがとても嬉しく楽しくて、私の趣味の一つともなりました。

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September 19, 2005

愛は死を越えて

私はもうすぐ六十四歳になります。昨年の五月、三十余年を共にした夫を亡くしました。未亡人です。夫との年令差は二十五歳ありました。年令の差など感じられない夫婦だったと思います。四十九日の法要が済む日迄、仏壇の前で茫然と過ごす毎日でした。
沢山の人との別れを経験してきましたが、夫との別れほど悲しくて 寂しくて 切なくて どうしようもなく、生きて行く事さえ嫌になってしまう程でした。しかしこのままでは駄目になる、四十九日のその日 決意しました。いくら苦しんでもなんの解決にもならない、夫ももう帰ってきません。妹弟や友人達に心配を掛け迷惑を掛けるだけ・・・と。
私には、夫が遺してくれた最高の言葉があったのです。
『君が大愛(す)きだ』『世界中で君ほど愛(す)きな人はいない』
交際十五年余、結婚して十五年の三十年間、毎日毎日言い続けてくれた言葉です。他の人が聞けば歯の浮く様なノロケ話と失笑されることでしょう。三十年余も妻に対してこんな言葉を言い続けられる人がいるでしょうか。私にとっては、この言葉は重要な意味を持ち 私の人生に大きな影響を与えていくこととなっていきました。夫は元々、人を教育することが大好きで、上手で、熱心な人でした。私が妻として 女性として 素晴らしい人間となっていく様にと応援してくれていたのだと思います。
夫の遺してくれた言葉と共に前を向いて、残りの人生を楽しく明るく歩いて行こうと今、思っています。夫に教えられた事がいっぱいあります。一つ一つ思い出し、生きる糧とします。
今回はここ迄とします。「信頼」と「尊敬」の念を持って夫と共に過ごした幸福な日々を書いてゆきたいと思っています。

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